故人を想い、考えた・・・

 今日は、昨年突然亡くなったフィリピン人お姉さんのオランダ人の旦那さんの一周忌に行ってきました。実は、私はこの方とは一度もお会いしたことがありません。しかし、このフィリピン人お姉さんは何かと私たち夫婦を気にかけ、かわいがってくれています。そのお姉さんとお話しするたびに亡くなった旦那さんの話になります。

 旦那さんが亡くなったのは1年前、ちょうどお姉さんが帰国されている時。旦那さんがちょこちょこ病院に行っていたのは知っていたものの、それほど深刻な様子は見せなかったようです。それでも気になり、帰国中も電話越しにお姉さんが問いただしても「帰国したら話すから」と言い、ついに直接告げることもなく、逝ってしまったと聞きます。①自分が不在であったこと②旦那さんが、体調について話してくれなかったこと、が悔まれてならないと言います。
 自分がお姉さんの立場であったら、なんとも言いようがない悲しい、悔しい気もちになりますね。結局死の真相を知ることが出来なかったようです。この数カ月で、お姉さんはやせてしまい、髪もかなり抜け落ちてしまったようです。私はここ数カ月のお姉さんしか知らないので、元々すらりとしている方なのかと思っていましたが、どうやら違うようです。

 一回忌のミサは讃美歌とビデオプレゼンテーションから始まりました。故人の数少ない幼少期の写真から、結婚式、子どもが生まれ、子どもが結婚して親から離れていき、最後は夫婦で海外旅行を楽しんだ写真で終わっていました。選ばれた写真はその人生の長さに比べれば短いものの、写真の背後にあるストーリーを感じて、故人を知らないけど思わずもらい泣きしてしまいました。故人へのメッセージもミサの後半で読まれたのですが、涙ながらに読んだ上オランダ語であったため、さっぱりわかりませんでしたが、皆涙涙。。。
 
 人の命はいつかは果てるものと知っていても、決して割り切れるものではなく、また重病で、長くはないと知らせていようとも、心の準備が十分な時などないのかなどと思ってしまいます。

 しかし、人は死んだらどうなるのでしょうか?私は幽霊を怖がります=人間が魂のようなものを持っていることをなんとなく信じています。そして、とても不思議ですが、時に故人が近くにいるように感じる時があります。思い込みなのでしょうか?
 その魂はどこに行ってしまうのでしょうか。生きてきた時の思い出はどう残るのでしょうか。「死」という状態は地上で過ごす時間感覚であると、永遠のような時をすごすのでしょうか。天国、地獄などというものは存在するのでしょうか。是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」を見ましたが、それを見ているときっと絵に描いたような天国や地獄などは存在しないけれども、自らの思いに苦しむのが地獄なのではないかと感覚的に思いました。いずれにしてもいろいろな考えがめぐりました。こればかりは確実なことは生きている限りは分からないけど、唯一言えることは恐らく「関係性の中で充足して生きること」なのではないかと思いました。ぐつぐつ考えて、こんなシンプルなオチでスミマセン(汗)

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