オランダのインドネシアへの謝罪

9月12日のニュースで、オランダ政府がインドネシア独立戦争時、南スラウェシで起きた「ウエスタリング虐殺事件」へ、在インドネシア、オランダ大使が公式謝罪したことが各国のニュースでも報道されたことを通りがかった学校の校庭にたなびくインドネシア国旗をみかけて思い出しました。

 日本軍によるインドネシアの占領、そして第二次世界大戦ののちにインドネシアは独立宣言をするのですが、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で発生した戦争は1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたり約80万人の犠牲者を出したといわれます。1946年末から1947年初頭にかけての南スラウェシで、裁判なしに行われた即決処刑では40,000人が虐殺されました。人数は、オランダ政府の数とは異なっています。

 アルジャジーラの取材では、遺族である配偶者のインタビューで事件の起こった当日の様子が語られます。1947年1月にオランダ軍によって会議に招集されたその男性は、宗教指導者が会議の行われる部屋に入室したと同時に他の207名とともに殺害されたと言います。これは当時に起こった多くの虐殺事件の一つで、当時のオランダ政府は反対勢力、またそれと疑われた人を殺害していきました。
「ちょうど結婚したばかりで、大きな家を建てて、メッカへの巡礼など、いろいろなことを予定していましたが、それらは現実になりませんでした。彼は殺害されました。」(アルジャジーラ:Indonesians to receive Dutch apology)
インタビューに答えるご年配の女性のシンプルな話が、人の命が突然奪われたことへの衝撃とその後の影響を語っているように感じました。

  オランダ軍人レイモンド・ウェスタリングは、この作戦の実行者としてインドネシア政府から戦争犯罪で訴えられているものの、本人は、オランダ政府に反逆する、テロリスト、疑わしい人物を拘束することが大勢の益となったと弁明したといいます。

 妻たちは既に80代、90代あるいは他界された方も多く、遅すぎる対応、遺族である子どもに対しての賠償がないことに対する憤る声があるようです。

 今回の謝罪の式典には、インドネシア政府からの出席者はありませんでした。

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