日本人はお金持ち?ー金銭絡みの殺人事件?!トラブルの回避に何ができるのか?

時に起こる悲劇―邦人殺害!!誘拐
ミンダナオ島で邦人男性が遺体で発見され、フィリピン人の妻、おい、知人の男性が逮捕されたというニュースを読みました。 現在も捜査が続いていると思われますが、新聞によると妻が30,000ペソで暗殺者を雇い夫を殺害させたとのこと。現地の新聞には動機は書かれていませんが、日本の新聞では金銭がらみ、関係のもつれなどと見られているようです。

日本人はお金持ち?ー金銭絡みの殺人事件?!トラブルの回避に何ができるのか?
日本人はお金持ち?ー金銭絡みの殺人事件?!トラブルの回避に何ができるのか?



こうしたニュースから、金銭がらみで邦人殺人が起こるという噂が立ってしまわなくもありません。金銭が事件の唯一の原因ではありませんが、お金は関係性をこじらせ、事件に巻き込まれる1つの大きな原因になります。しかし、外国人の男性と結婚したフィリピン人女性が、男性から“奪えるだけ奪い”、その後別れる、あるいは殺人に発展するケースとなるというのは極論だと思います。

しかし、日々、お金に絡んだ何かしら些細なトラブルはあります。

ブログの「日本人はお金持ち(1), (2)」で紹介したケースで紹介したように友人、更には親族から金銭の貸し借りを頼まれる場合があります。そこで金銭トラブルとそれをどうしたら回避ができるのかについてちょっと考えようと思います。

ベストの対処法は?ー夫婦間の合意やルール
ベストの対処法は?無いと思います。そもそも何がベストなのか・・お金にどう価値を置くのか?によります。ただ、沢山聞いたフィリピン―日本(他の外国人)カップルの体験談から、「お金の使い方について一定のルールを決めておく」、ある一定の合意をすることだと思います。

ちなみに親族に一切貸さないという選択肢はないと思ってください(笑)。フィリピン人パートナー(妻・夫)の家族に対するロイヤリティを見くびってはいけません(汗)

ここはフィリピン。ルールは状況でいかようにも変えられてしまう柔軟な国!親族が、子どもの学費が支払えないからお金を貸してほしい・・・、給料が少なくて子どもを養えないから・・・と情に訴えられれば、ルールなんて言うのは無いも当然となります。

感情の共有
ですのでルールを作る前に、カップルの場合は金についてどう感じるのかを共有することが大切だと思います。オランダのような国を除いて、お金についてオープンに話すことは文化的にはばかれると思います。

特にフィリピンでは、カトリックの強い影響のためお金について話をすること自体が卑しいこと、として倦厭されます。聖書を文字通り信じる人たちにとって、貧しいことは美徳ですから(汗)そこも考慮すると、なかなかハードルが高いと思います。

お金をかけてもよいと思っているのは
日比カップルで日本に生活している男性が、奥さんが国際電話を掛けまくりその費用がかさむほか、お金を旦那さんの許可なく勝手に送金してしまうという話、親族の集まりの時には何故か日本人が多くを負担するということなるという話、やたら高価なものを欲しがる(実際、日本―フィリピン間の飛行機で、ビトンバックを持っているフィリピン人女性がものすごく多いことに気が付きました・・・)・・・何度もお金を貸してほしいと言われ、貸したらかしたで一向に返す気配がないなど・・・という日本人サイドからのお金に関するトラブルを聞きます。

行動を責めたい衝動に駆られますが、その行動が何を意味するのか?故郷に国際電話を掛けまくるというのは、日本での生活が友人も少なく不安であるかもしれないし、もっと重要なことを意味しているのかもしれません。もし、理由なく単純に話したいだけというのなら、どれだけお金がかかっているのかパートナーに理解してもらうしかないと思います。

貸し借りについて感じていることは何かを共有する
「普段は疎遠なのに困った時にだけお願いされて、自分が金蔓(豚の貯金箱)のようで、非人間化されていやだ!」という日本人に対して、「親族の中で比較的余裕がある私たちが他の家族を助けるというのは家族として当然。これが出来なかったら家族に恩知らずと思われてしまう」とフィリピン人のパートナーは答えるかもしれません。

こうした問題を感情的にならず腹を割って話せるカップルがどれほどいるのかわかりませんが・・・お互いが大切に思っている点は必ずしも一致しないことが明らかになったりします。

フィリピンの恥(ヒヤ)という概念
また、フィリピン人全体的にある恥の概念を理解することも、問題を直接ではないながらも解決する一助になるのではと思います。どういう時に恥ずかしいと感じるのかというと、自分の有するもの以上を受ける場合に感じます。

例えば、それほど大したことをしていないのに、人前でスピーチを頼まれた時、一生懸命にやっていないのにその働きに対してのよいコメントを受けたりする場合、そしてお金を借りて返せない、親に不義理をする等。

それを受けるに値する自分であるのか?なすべき義務は果たしているのか?ということです。詳細は、学術論文に任せますが、「恥」という思いは勿論あります。

まとめ
お金にまつわることで、実際問題と自分の感情にどう対処するのか。著者は、ついついストレートなものいいになってしまうので、気をつけないといけないと日々思いますが、“例えば”ですが「貧しいこと」をある種「私たちは貧しいけど助け合って生きている」と美化して子どもの学費を払えず、親戚に助けを求めるというのは美化されることではないと思います。子どもの学費をサポートしてほしいという親族に、まったくサポートしないわけではないけど少しでも解決策を具体的に考えてほしいと言っています。

しかし、人間いつも強いわけでもなく、人の助けを多く借りる時期(お金に限らず)人生にあると思います。「貸す」という強い立場にばかり自分の身をおけないと思うわけです。そして、ここはフィリピン、持っている人が持っていない人に分けるのは当たり前なのです。(これについてはいちいち「ありがとう」などと言いません)

借金を頼まれた場合に自分のルールを決めて、可能な限り相手と感情を共有し、しっかり自分がどうしたいのかを知り、その用に行動することが大切だと様々な経験から思うわけです。そうは言うものの、大変なんですけどね。

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2 件のコメント :

  1. とても参考になりました。ありがとうございます。

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  2. Maru さん読んでくださってありがとうございます。お金の問題って万国共通とってもセンシティブな問題だと思います。価値観がおおいに反映されるところです。
    そして、一人ひとりの経験とその経験がシェアされることで特に悲しいかな悪い印象が伝わってしまいます。今回はフィリピン→日本という一方的な物言いとなってしまい申し訳ないのですが、日本人とフィリピン人のお金に関する価値観の違いは大きいと思います。その違いがあることを認識すること、そしてお互い分かろうとする努力をする以外にないと思う所です。

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