マザーテレサ列聖の報を受けて―マザーテレサとは誰か、列聖とは何か?

この度、マザーテレサがカトリック教会の定める聖人としての認定を受けました。そして明日9月4日がバチカンでの列聖式典が行われる日です。

列聖について、ネット、カトリックの友人が多いため、SNSでかなりの頻度で話題にあがっています(現在進行形で)。私が思いだすのは昔放映していた「知ってるつもり」(既に放送を終了しています)のマザーテレサ。

列聖を機に、マザーテレサとは誰で、聖人となったというのはどういう意味なのか、もう一度整理したいと思います。



マザーテレサってどんな人?

祈りとアクションの人と私は理解しています。カトリックのシスターでありながら、神秘体験をして自らの宣教者会創設し、貧しい人の中でも最も貧しい人に仕えることを旨に生涯活動し続けた人です。
1979年にノーベル平和賞を受賞しています。1996年にはアメリカ名誉市民(大統領が「傑出した功績がある」と判断した外国人に与える名誉称号)に選ばれ、2003年10月19日には当時の教皇ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言しました。

「マザー」は、教会の中で指導的立場にある人物に立つ人への敬称、そしてテレサは修道名です。本名はアグネサ アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ、1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(現マケドニアのスコピエ)に3人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期から修道女になりたいと思い、18歳でアイルランドのロレト修道会に、その後インドに赴き、1937年に終生誓願*を立てます。

インド、カルカッタでは、教員として学校で上流階級の子女への教育を行っていましたが、学校の塀の外には貧しい人が大勢おり、マザーテレサは心を痛めていたといいます。1946年に電車で移動している最中に「貧しい人の中でも最も貧しいものに遣えよ」という啓示、スピリチュアルな体験をしました。

以降、カルカッタのスラム街に出て、無料で貧しい子どもたちに授業をし、また1950年に教皇庁の許可を得て、神の愛の宣教者会を設立しました。


聖人とは?

マザーテレサはすごい人だと知っていたけど、「聖人」になるってどういうことなのか?聖人とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことであり、神と人々のために、またその信仰を守るためにその命をささげるという殉教もその証明となります。(カトリック中央協議会ウェブサイト)

聖人になるにはいくつかのステップがあります。まず、福者となります。しかし、福者にもそう簡単になれるわけではなく、キリストの模範に忠実に生きた人物が亡くなってから、関係者が教皇庁列聖省に届け出をし、そこからその人物が列福されるにふさわしいか、細かく調査が行われるそうです。調査の対象となる資料は、証言、本人の書き遺したもの、映像や音声記録などです。

列福される場合、欠かすことができない条件が「奇跡」です。奇跡とは、その人物を通じて(その名を言って)祈ることによって病が治ったというもの。当人、その周辺の人物の証言や医学的な調査もおこなわれます。

聖人となるには、また同じプロセスで調査が行われます。教皇が公に聖人の列に加えると宣言し(列聖)、その式(列聖式)はローマの聖ペトロ大聖堂で盛大に執り行われます。

教会が聖人を認定する意味は、1) 人々がその聖人に取り次ぎを願ってよい、2) 崇敬の対象となり、3)世界中の全教会で公にこの聖人の日を祝うことを意味します。

マザーテレサ列聖への反応

フィリピン人はどれだけ、彼女の功績をしっているのか、謎ですが、Facebookなどでは若干「マザーテレサ祭り」のような様相を呈しています。新しい聖人だ!と喜ぶ人も多く、以前フィリピン人ペドロ・カルンソッドが聖人に加えられた時のような盛り上がりです。列聖によって、私のように彼女の生涯を振り返る人たちも多数いるようです。

ただ、勿論「マザーテレサは聖人ではない」という人たちもいます。

批判

Krithika Varagurさんの「マザーテレサは聖人ではない」、という記事また、北米の研究者が、500程の書類を検証し、カナダの宗教専門誌で「原文はフランス語でLes côtés ténébreux de Mère Teres)」と題した論文でその聖人とは程遠い人物像を発表しました。

彼女の胡散臭いホスピス「死を待つ人の家」病人の看護、問題があると言われる政治家とのコンタクト、集まった資金の管理、彼女独特の中絶、否認、離婚の考え方について、述べています。

ホスピス「死を待つ人の家」の衛生状態が悪く、医薬品も不足、満足な医療が施されていなかったと報告されています。これは、資金の不足ではなく、マザーテレサの持つ独特の生死感によるものだと分析します。貧しきもの、病に倒れ苦しむ者の中にイエスキリストの受難を見出していたといいます。

Krithika Varagurさんの「マザーテレサは聖人ではない」、という記事については、かつて研究者によって発表された論文で上げたポイントを越えるものではないのが残念です。研究論文はカナダのニュースソースからで、本文をまだ読んでいません。(学術論文が有料かつフランス語であることが原因です。)

論文のポイントに関する詳細なるリアクションはここではしませんが、論証の故の結論が「聖人」からは程遠い人物像であったとしても、彼女の人気は揺るがないでしょう。

リフレクション
私の好きな彼女の言葉が以下です。
昨日は過ぎ去りました。 明日はまだ来ていません。 わたしたちにあるのは、 今日だけです。 さあ、いま始めましょう。

祈りと行動のマザーテレサ、祈りに導かれ、毎日この瞬間に集中し、87年の人生なし得たことは多くの人の人生を変えたと思います。修道女になった人、ホスピスの病人、マザーテレサの格言を読んで奮い立った人も含めて。

マニラの貧困地区にある神の愛の宣教者会でボランティアとして身内のいないお年寄りとの交流に参加したことがあります。シスターに教えてもらい、食事介助なども行いました。かなり昔のことでしたが、施設内は穏やかで定期的にボランティアが訪れ、シスターをサポートしている姿も見られました。

神秘的な体験をし、その後決意をして一人ではじめたことが、海を越えて人々によって受け継がれ、実践されていく、これこそが奇跡なのではないかと思うのは私だけでしょうか。

終生誓願: 修道院に入会して、志願期、修練期が終わり、初誓願を宣立。誓願とは、貞潔、清貧、従順の三つの誓願を期限を設けて誓います。
初誓願を立てると、修道会の中で、有期誓願者になり、共同体生活をしながら、使徒職や勉学に励みます。有期誓願の期間は、修道会の会憲によって違いますが、教会法で3年~9年の間に行うよう定められています。有期誓願期が満了になってのち、終生誓願を立てます。これにより一生涯、修道会の会員として約束を生きることになります。
(ラウダーテウェブサイトhttp://www.pauline.or.jp/vocation/question_13.php)

参照:カトリック中央協議会ウェブサイト http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/sonsha.htm
Mother Teresa of Calcutta center http://www.motherteresa.org/layout.html

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