フィリピンの不倫もの映画・ドラマの原型をラジオドラマにみる

先日の映画評「The Unmarried Wife」に見るように、フィリピンの映画・ドラマが含む不倫要素というのはかなりのファクターを占めると言っても過言ではないと思います。もちろん、日本でもそういう“トレンド”時々訪れていますが、フィリピンの場合はそれらは定番のテーマの一つです。「A Secret Affair(2012年)」「Trophy Wife (2014年」などは、そのカテゴリーの代表的な作品と言ってもよいでしょう。

私は近年常々思うのですが、不倫を含めたメロドラマ的要素は長年庶民層に親しまれてきたラジオのメロドラマに原型を見るのではないかと思われます。

ラジオドラマからテレビの大衆ドラマへの変遷

メロドラマとは、大衆に受けるように作られた感傷的、扇情的な内容のドラマを指します。テレビが一般的になる前は、多くのドラマはラジオで放送されていました。家に留まり家事をこなす主婦がそれらのドラマのリスナーです。今となっては、それらはテレビにとって代わられました。フィリピンでは日中から民放でメロドラマが放映されており、日中家事を一区切りした女性がそれらを楽しんでいます。

一昔前に人気があったラジオドラマ「運命(Gulong ng Palad)(1977-1985年)」は後にテレビドラマ化(2006年)されています。8年続いたラジオドラマ!は、カップルの恋愛、結婚、出産、その途上で起こる様々な問題を含めたもので、ヤマもなくとにかくだらだらと続くので、一体何が面白いのか?と思わざるえませんが、ドラマはおのずと視聴者の心理、願い、切り取った、そして時に誇張された現実を反映すべく描かれており、リスナー/視聴者を惹きつけます。



規範を刷り込み、再生産するドラマ

庶民層に親しまれるテレビドラマ(アニメも往々にしてそうですが)は何が男性的、何が女性的であるのか示すだけではなく現実にかくあるべき姿=社会への規範を示しています。

ドラマにおいて女性は、「母」「妻」「娘」「姉妹」「友人」という型の中で何度となく描かれ、特に「母」の役割と社会からの期待を過剰に描いていると私は見ております。ドラマでは「妻」は家庭を守るため子どもたちの「母」として、どうしようもない夫に仕え、献身的に家事をこなし、時にはメイドとして働き家族を支えます。

女性、特に母としての受難を描くドラマ

ドラマの根幹をなすもの―「女性の悲劇」。

男性の行いの“悪さ”が女性の“善性”を引き立たせる役割を果たしています。いくら夫が家庭外で他の女性と関係を結んだ(不倫関係)としても、母たる女性は毅然としており、子どもを守るべく責任を果たそうとします。

これは、聖母マリアへの信仰心の投影とも考えられます。十字架上のイエスを神の子として見つめ、罪人である私たちを思い、人々のために祈る聖なる母マリアの信仰心があります。



なので、「苦しみ悩むことがロマン化された行き方なのだと強調される。このことが女性を中とした家族の絆のシンボルだと聞き手に受け止められているようだ」という論考は全く持って同感です。主婦、特にドラマの対象となっている一般庶民層が感情移入しやすいように作られています。

ちなみに男性の描かれ方は悲惨で、義務を果たさない夫、不倫をする夫として描かれ、内面に対する描写はありません。

また、道徳的ではない女性も物語に登場しますが、そういう女性は低所得層の出身ではなく、西洋化された女性として描かれます。

こう考えると、メロドラマ(+不倫もの)の需要はまだまだ高く、このうんざりするような映画が人気俳優たちに演じられるということがこれからもしばしあるのだと思います。いやはやです。フィリピン映画界、がんばれ。

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