[書籍] バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ‐から考える南北格差

フィリピンと言えば?-バナナ!

フィリピンについてのイメージを尋ねると、NGOなどの活動や貧困問題に関心がある人は「スモーキーマウンテン」南部フィリピンの「紛争」あとは日本で働き、日本人(男性)と結婚したフィリピーナたちなど。しかし、やっぱりフィリピンといえば?「バナナ」!バナナのイメージは定着しています。

バナナ~



なぜ、これほどまでにフィリピンとバナナのイメージが密接であるかというと、バナナは他の果物に比べて輸入量が多く年間119万トン(2010年財務省統計)、その約95%がフィリピンから輸入されており、栄養が豊富、1年を通してひと房約100円ほどお手頃な価格で食べられるとても優れた果物であるからです。安くて、おいしくて、栄養があるバナナは、庶民的果物として、不動の人気を誇っているのではないでしょうか。

しかし、この果物を輸出する側は必ず経済的に潤っているわけではありません。農業従事者の貧困、健康被害、大企業の搾取と寡占があります。この状況に焦点を当てたのが鶴見 良行氏著の「バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ」。

著者がフィリピンと関わり始めて、後学のためにと読んだ本の中で感銘を受けた本の一つです。1983年に発行された本書、書かれてから30年とかなりの時を経ていますが、ミクロ―個々人の生活に深く立ち入りながら、マクロ―社会全体を見ていく手法は見事で、そうしてあぶりだされた社会の構造を鋭く突いたこの本書の意義は2017年の現在においても大きいと思います。

フィリピンバナナ輸入小史

日本に輸入されているバナナはフィリピン産の「ジャイアント・キャベンディッシュ」という品種が8割を占めます。大ぶりの果実は、輸出入に適しています。青いうちに収穫された輸入バナナは、エチレンで追熟させ黄色くします。

フィリピンのバナナがメジャー化する前は、台湾のバナナが主流でした。しかし1970年の初め、台湾での台風被害がバナナの生産に打撃を与え、しばらくは台湾産のバナナがエクアドル産のバナナに取って変わられました。しかし、遠隔であるため、近隣の国、フィリピン、とくに台風の進路から外れているミンダナオ島でのバナナの輸入にシフトしていきました。
 
輸入用のバナナの生産にあたり、フィリピンサイドではこれまで業者が直面した課題に対処すべく様々な策が取られました。冒頭であった「キャベディッシュ」種の導入もそのうちの一つ。この種は病害虫に強いため、安定的な収穫を期待できます。

バナナ生産が抱える問題点

ただ、輸出の伸びと労働者一般の生活の改善は相関していません。バナナ生産には様々な問題があります。

1.地元の人が自分が食べないモノを作る


フィリピンには様々な種類のバナナがあります。小ぶりで甘い、プリンセサ、調理に使う、サバ(saba)、種がありかなり大ぶりでとても甘いブトアン(しかし、市場ではあまりみません)など。

上記のジャイアントキャベディッシュはラカタン(これは恐らくビコール語)と呼ばれ、大手のスーパーなどで販売されていますが、一般の食卓に並ぶことはまずありません。ひと房約100ペソ前後。日本円にして200円と、日本で購入するより高くなりますし、一般的なフィリピン人にとっては高い!沢山のジャイアントキャベディッシュが輸出される一方、一般のフィリピン人はそれらを消費しません。

多くのバナナが輸出されていますが、フィリピンの主食である米は長い間輸入に頼っています。


2.膨らむ借金ーバナナ栽培から抜け出せない契約農家

入植者として来た農民にとって土地を手放さずに契約できるシステムを企業が提案しました。農家のバナナと企業側の技術交換。企業側は1ヘクタールあたり3000ペソ/年の収穫は固い(据え置きの価格)といい、さらに土地を貸すか、自分で栽培するかの選択を迫りました。
今まで不作の時に高利貸などからお金を借りてきた小作農にとっては現金収入は本当に魅力的でした。しかし鶴見氏が指摘するにはこれまで作っていたローカルの市場に出回るであろう、米、とうもろこし、ココナツなどの産品は作れず、またバナナ栽培に適した設備の整備の資金は農家が持つことになり、彼らは初めから借金を背負って新しい事業をスタートし、その間に会社が提供する製品も石油価格の高騰で上がり続けて行きます。借金はふくらみ、ますます抜けられない状況になっていきます。

3.労働者の健康被害と大企業による抑圧

バナナという植物は病気に弱い。バナナは品種改良の結果、種がなくなり、株分けで栽培。そのため、同品種のバナナは、同じ遺伝子を持ち、特定の病原体に感染しやすいのです。かつて流行した「パナマ病」によって、これまでのバナナ生産が壊滅的なダメージを受け、ジャイアント・キャベディッシュという品種が誕生しました。

しかし、それで病気の脅威が去ったわけではなく、単一品種化が進み遺伝的多様性を失ったバナナはいまも害虫への抵抗性低下く、安定した供給のためには農薬散布は必須です。

著書を出版した当時の80年代は農薬の空中散布!が行われておりました。農場で作業する労働者、またその敷地そばに生活する労働者の間で、皮膚炎、呼吸器系の症状が数多く報告されています。これらの状況に対して労働者が何もしないわけではありませんが、企業のもつ暴力によって封じ込められました。

4. 大企業の寡占とフィリピンにもたらす影響

バナナの輸出入は米国系の多国籍企業のデルモンテ、ドール、チキータ、バナンボ(住友商事)の合計4社の典型的な寡占状況にあります。価格は現時点では輸出国には安く出荷し、労働者の賃金も安いままです。
日本で安価に供給されているバナナは、産出国フィリピンの下層労働者からの搾取の賜物に他ならず、これによってミンダナオが豊富な資源の地に関わらずフィリピンでも貧しい地のひとつとなっている原因の一つだと思います。

この本が出版された1980年代とはバナナを取り巻く状況は異なっていますが、こうした大企業が輸出を行い大きな利を得る一方で、生産する側のフィリピンは潤いません。プランテーションによる大規模な土地開拓、農薬による汚染、労働者の健康被害。一方で雇用を生んでいると指摘もできるかと思いますが、得るもの少なくて、失うものが大きいのが現状です。

まとめーつながりあう世界に生きるわれわれ

このような書籍を取り上げると、”消費者にとって大切なのは安くて、おいしいこと”が大切で、消費を止めることでこのような構造は変えられないと批判する人もいるでしょうが、本書著者の鶴見氏は、本書で書かれたことの故にバナナの「消費を止めよ」と言っているわけではないと思います。また、著者は構造的な問題に対する答えを書籍の中で明確には与えていません。

しかし、本書が最終的に読者に与えた一連の情報は一消費者として聞くに痛い現実です。彼のとった手法は、読者を日常の一部である食品、その中でもごくありふれたひと品目に注目させ、想像力を刺激し、問題意識へとつなげていき、構造に目を向けさせています。

生産には人手が必要になり、その人たちの生活があり、消費する側は対価を支払い購入し、消費し、投棄。消費のサイクルは、もっと複雑で多くの人や環境に負荷をかけながらなされているため、商品の代価を支払って完結できないはずなのですが、商品の生産と消費の場が切り離されることで、そういう幻想が生まれてしまいます。

80年代という時代の反映のためか、「搾取」というメッセージを強く受けました。2000年台のグローバリゼーションの最中、「搾取」という現実を知って、また複雑な社会に生きるわれわれに何ができるのか?それを考えさせる良書だと思います。

関連ブログ

フィリピンでバナナの調理・活用法を学ぶ

引用:果物情報サイト果物ナビhttp://www.kudamononavi.com/zukan/banana.htm

スポンサーリンク

スポンサーリンク

Subscribe