故マルコス大統領に感謝したい?!10のこと

フィリピン全国紙Inquirerのオンライン版で、「10 reasons Filipinos should be grateful to Marcosーフィリピン人が故マルコス大統領(以下マルコス)に感謝すべき10のこと」という記事が載っていました。なんの内容かと思い読んでみて、「あーやっぱり」と思ってしまいました。ようは「独裁」への皮肉です。

内容は以下(著者の意訳)。

1. マルコスは、いじめを軽蔑し、拒絶するように教えてくれました。

マルコスは、力を乱用する最初または最後の大統領ではありませんでした。しかし、彼は他の人が簡単には破れない記録をうち立てました。21年間の(独裁政権の)悪夢!!は、繰り返されてはならない、歴史の消えずに絶えず思いだされるべき教訓です。それはとても価値あることでしょう。

2. マルコスは、富を誇示するリーダーを軽視するよう教えてくれました。

(フィリピン社会の)エリートたちは、マルコスが権力の座に就く前から、富を誇示してきました。しかし、マルコス一家は、フィリピン国民の極度の貧困を目にしながらも極めて豊かな生活を誇示しました。 どうしたら3,000組の(イメルダマルコスの)靴の所有、その所有の自慢を正当化することができますか?
関連ブログ「[フィリピン博物館] イメルダ夫人の靴

3. マルコスは、富を得る指導者に疑いを抱かせるよう教えてくれました。

マルコスの後に就任した大統領も確かにこのような(蓄財の)問題があります。フィリピンの政治は、いまだに容易なお金を得るための道として広く考えられていますが、あまりにも過ぎた欲求は現在一般的に政治キャリアに危険なものとすると考えられています。

マルコスを褒めたたえるべきでしょう、なぜならフィリピン人たちは突然金持ちになる政治指導者に非常に疑念を持ちはじめたからです。

4. マルコスは、選挙で不正するものを軽蔑するよう教えてくれました。

フィリピンの政治には不正がはびこっています。しかし、マルコスの経験から、政治家たちは人々からの激しい反感を恐れて一線は越えないだろうと思います。

5. マルコスは、憲法をより良くしたいと言っている指導者には慎重を期すように教えてくれました(そしてたぶん6年間の就任についての厄介なルールをやめてしまうかもしれません)。

フィリピン人は”チャチャ”を踊りたい政治家を信頼しません。(”チャチャ”とはChater Change、つまり改憲のこと)改憲は、後で問題になる可能性があります。

マルコス政権の後、フィリピン人は、権力を貪欲に欲する政治家の出現とその権力の乱用を恐れ、法の改訂に対して強い猜疑心をいだいています。



6.マルコスは、規律と恐怖の間に大きな違いがあることを示してくれました。

「私たちの国が発展するためには、規律が必要である!」これがマルコスの新しい社会のための体制のスローガンでした。これは、フィリピン人が「黙って従順に従う、さもなくば・・・」の、その「さもなくば」が何を意味しているということを知っていたため、しばらくうまくいっていました。

ある米国におけるフィリピン関係者は、70年代と80年代のフィリピン人は「4千万の臆病者と1人のろくでなし」の国になったと観察していました。フィリピン人は、長い間そのような状況を許していました。

7.マルコスは、世界指導者との友情は無期限に権力を保つことができるという保証ではないことを示してくれました。

マルコスとその婦人イメルダはロナルドレーガン米大統領とその婦人ナンシーとの写真を撮影し、大変誇りに思ったことでしょう。レーガンは副大統領であったブッシュ副大統領を「民主主義の原則への遵守」を称賛するためにマニラに送りました。しかし数年後、(他国の指導者のすすめと助けで)独裁者は祖国を去りました(ハワイに亡命)。

8.マルコスは、歌、スローガン、巨大なもの(記念碑など)で自分たちを誉めようとする指導者たちには注意するよう教えてくれました。

(この記事の)著者はマルコスが戒厳令を課したときに興奮していたことをここで告白します。戒厳令発令時、同記事執筆者は8歳。数週間、著者は学校に行く必要はなく、テレビには漫画しかありませんでした。

暫く経って、学校に戻ると学校の友人たちと著者は、新しい秩序について唄った変わった曲、新体制について何がすばらしいのか、そしてマルコスとイメルダについて学ばなければなりませんでした。

北朝鮮を想像してみてください。

今日では、看板や公共の場所で名前や写真を出すのが好きなエパル(Epal)な(タガログ語で常に公共のばなどで露出したい)政治家は、批判され攻撃されることが予想されます。

フィリピン人の反エパルはマルコス嫌悪に根差しています。”エパル”であると言えるのは、主要なハイウェイに自身の名前をつけることです。

*マルコス・ハイウェイ

9. マルコスはフィリピン人が創造性を持つよう、強いました。

フィリピンでのみ、黄色の紙吹雪が抗議の象徴になる可能性があります(黄色は、ラバンという政党の色。マルコス大統領の後に大統領になったアキノ大統領の所属する政党)。そして、戦車の前でロザリオを祈っている修道女も。おそらくあなたは他の場所でこのような反抗行為を見ることはないでしょう。

しかしPeople Power革命前、独裁者の暗黒の時代にすら、フィリピン人はすでに政権に反する創造的な方法を考え出していました。フィリピン大学の学生たちは、1階から別の階へ行進してスローガンを叫び抗議文の書かれたバナーを振り回してから、バナーをすばやく折り畳み、警官が現れる前に分散させる稲妻集会を行いました。

芸術家も新しいことを試してみました。 「Prometheus Unbound(鎖を解かれたプロメテウス)」と書かれた無害な詩ですが縦に読むと、「マルコスMarcos、ヒトラーHitler、独裁者Diktador、犬Tuta」有名な反独裁スローガンとなります。

Mars shall glow tonight,
Artemis is out of sight.
Rust in the twilight sky
Colors a bloodshot eye,
Or shall I say that dust
Sunders the sleep of the just?
Hold fast to the gift of fire!
I am rage! I am wrath! I am ire!
The vulture sits on my rock,
Licks at the chains that mock
Emancipation’s breath,
Reeks of death, death, death.
Death shall not unclench me.
I am earth, wind, and sea!
Kisses bestow on the brave
That defy the damp of the grave
And strike the chill hand of
Death with the flaming sword of love.
Orion stirs. The vulture
Retreats from the hard, pure
Thrust of the spark that burns,
Unbounds, departs, returns
To pluck out of death’s fist
A god who dared to resist.
Jose F. Lacaba
https://kapetesapatalim.blogspot.nl/2008_07_01_archive.html
鎖を解かれたプロメテウス*パーシー・ビッシュ・シェリーの劇詩(1820年頃の作品)

10. マルコスはわれわれを笑わせてくれた

マルコス政権の間、一つだけ明確なことは、暗黒の中にあってもフィリピン人はまだ健全な笑いのセンスを維持していたことです。

マルコスとイメルダのおかしなところを笑わない人なんているんですか。この記事の著者が初めてイメルダに対面したのは1984年にフィリピン大学のスタッフが彼女にマニラホテルでインタビューしたときです。そのミーティングのハイライトはイメルダが彼女の理論ー宇宙からの宇宙線が国を守る―と説明したときでした。

関連ブログ「美を追求し続けた女の執念―ドキュメンタリー「イメルダ」を観て (1)

ニノイ上院議員暗殺後の集会で、マルコスの顔は狼瘡(種々の皮膚のびらんや疾患を特徴とする疾患)のゆえに腫れているようでした。抗議ポスターには「Mamaga sana ang mukha ng nagpapatay kay Ninoy。」「ニノイを殺した誰かの顔が腫れあがることを望む」

関連ブログ「ニノイ・アキノデー8月21日-暗殺から30年、事件を振り返る-

そしてマルコスがなければ、間違いなく最も才能のあるフィリピン人のコメディアンの1人、ウィリー・ネポムシェーノ(Willie Nepomuceno)に何が起こったでしょうか?彼はマルコスを真似る才能ににとても恵まれていました。
(この動画は、エストラーダ大統領のモノマネ)


ウィリー・ネポムシェーノのコメディアンとしてキャリアは、マルコスが亡命し後に亡命先で亡くなることで危機を迎えます!しかし、彼は他の政治家、ラモス大統領、エストラーダ大統領などを真似、見事に返り咲きます。幸運なことに、ウィリーネポムシェノはフィリピンで存命中です。

マルコスは「私は死ぬつもりはない」と宣言しています。マルコスの家族と支持者は、彼が埋葬されたくないということを理解していたようです。だから彼は冷蔵保存されています。ある意味では、マルコスは正しかったようです。マルコスは”戻ってきました”。彼の息子とサポーターは、独裁政権時代にかれらが何をしたのか忘れてしまいます。

故マルコス大統領に感謝?

人によっては本気で、彼が行ったインフラのプロジェクトは素晴らしいなどと言う人もいます。しかし、プロジェクトの費用の一部を自らの財産と窃取し、共産主義勢力からの防衛・治安維持のためと戒厳令を敷いて、誘拐・拷問・殺害を行ったことを知ってもなお、マルコス時代はよかったと言えるのでしょうか。

著者はフィリピン人ではないので、表立って一国の故大統領を批判しようとは思っていません。しかし、政権時代に政権に反対したことにより逮捕され、獄中でレイプされたという人にもあったことがあり、あれから数十年が経ちながらも人々の傷は癒えていないことを感じます。

そして、こうした10項目の”感謝”として皮肉った教訓があれども、実際に教訓を生かしきれないのが人間です。その左証にまだマルコス一族は権力の座にあります。イメルダマルコスやその子どもたちもです。そして、現政権はマルコス一族とかなり近い関係です。

参照ウェブサイト

10 reasons Filipinos should be grateful to Marcos
http://globalnation.inquirer.net/129749/10-reasons-filipinos-should-be-grateful-to-marcos#ixzz4wyl2glE3

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