台風ヨランダ(ハイエン)の被害状況-台風から三カ月

11月8日にフィリピン中部に上陸した台風ヨランダ(国際的な名称はハイエン)は、広範囲にわたり甚大な被害をもたらしました。被害状況は1月29日現在、以下のようになります。

2013年11月6日、フィリピンの南東部ミンダナオ地域に入り、ヨランダと命名。11月7日、フィリピン中部を勢力を保ったまま移動。11月8日午前4:40分、東部サマ―ルに雨をもたらし、その後も勢力を保ち移動、パラワン島を抜けてからその威力がわずかながら弱まったといいます。

被害状況-フィリピン政府による公式発表
現在フィリピン政府の公式ウェブサイトでは、死者6201名、負傷者27665名、行方不明1785名と発表。3,434,593家族/16,078,181名が影響を受け、12,139のバランガイにその被害地域は広がっていいます。

被災家族/者のうち890,895家族/4,095,280名が移住や避難。381の避難所では20,924家族/101,527家族が避難し、避難所以外の場所には869,971家族/3,993,753名。破損した家屋の数は1,140,332戸(完全に崩壊した家屋550,928戸、589,404戸が部分的な破損)。この災害が与えた影響は金額にして、3兆9821億4978万5217ペソ(内訳はインフラに対しては1兆9559億3791万3611ペソ、農業に与えた影響は2兆262億1187万1606ペソ)。
電力は1959か所の伝送設備の破損、送電設備の基幹、スティールの柱、コンバーターなどの破損が含まれます。1月7日時点では138のバランガイ中56バランガイで電気が復旧しました。水道水については11月15日の時点から十分に供給されているものの一部地域では制限されています。電話は大手グローブ、スマート社のサービスが復旧し、広範囲で使用が可能となっており、滞在期間中も問題はありませんでした。


目視したレイテ島の被害状況

空港
マニラ・レイテ間はタクロバンの空港を使用しました。海に面するタクロバン空港台風高波により破壊され、また色々なものが流れ着き瓦礫等が山となり、ジャンクショップのような様相だったと知人より聞いていましたが、1月28日に訪れた際は片付いておりました。ただ、建物は壊れたままで、勿論預けの荷物が流れるベルトも動いていないため、従業員が手作業でベルトコンベアーの上に荷物を移動しておりました。

空港からプロジェクト地への道のり
タクロバン市内の学校とその敷地内に立つテント
空港からパロ、オルモックに向かう道中は、全壊は免れているもののやはり多くの家屋が被害を受けており、特に屋根が風によって吹き飛ばされてしまうという被害を多くみました。屋根は家屋の本体に固定されているため、屋根が飛ばされてしまうと同時に屋根との接続部分から崩壊が目立ちました。また、風が強かったため椰子の木が真中から完全に折れてしまっている、あるいは椰子の木の葉が一方向に流れなびいており、台風が去った後も元には戻っておりません。
(写真:空港からGKのコミュニティに向かう道すがら車中から撮影。空港近辺に国際団体のロゴが入ったテントが見えます。現在もテントで生活している人たがいるとききます。)途中下車した教会には身元不明のまま埋葬された人たちの集団墓地がありました。この左の写真はパロの大聖堂で、タクロバンや周辺地域にあるいくつかある墓地の一つです。

訪問したコミュニティの被害状況
元の形をとどめていません
左写真はGKタナワン、パロのコミュニティの様子です。手前の白い壁の建物はGKがコミュニティのセンターとして使用していた場所で、屋根はもとより、土台もわずかしか残っておりません。
後方の建物は屋根がなく、ターポリンなどでふさぎ現在雨風を凌いでいます。
津波には襲われていはいないものの、強風のためにコミュニティの殆どの家屋の屋根や土台が破壊され、強風の威力を物語っています。屋根部分はターポリンや、家屋の部品で修繕が施されています。

台風がフィリピン中部を通過しようとするとき、私はちょうど南部のミンダナオ島におりました。大きい台風と聞き、テレビやラジオなどで注意深く情報をアップデートしながら島内を中部から北部に移動しておりました。しかし、台風前日のテレビのレポートを見る限りでは、強風ながらも傘をさして歩いている人の姿が見え、一緒にニュースを見ていた友人たちと共に「なんだいつもの台風か・・」という印象しか持ちませんでした。台風が通過した当日は、友人はマニラに戻る飛行機がキャンセルになり長引いた休暇を謳歌していたと聞きます。しかし、一度山を下りてインターネットでニュースを見て驚きました。その衝撃は言葉にできません。

発電機故障で限られた明かりの中で
行われたコミュニティのミサ
3カ月もすぎると、国際的には様々なニュースがあり、それらはニュースとしての賞味期限が切れ、忘れ去られつつあります。現地でスペインからのジャーナリストに会い、風化させないために人々の声を集めて記事を書くと言っていました。

被害状況を目視して改めて復興に長い期間が必要で、一個人がやれることをやってもなお、まだまだ足りない状況であることは、東北の経験からも明らかです。
再度、人々からの少々の関心を得ることができるよう、そして関心が何かのアクションに繋がるようにと2月9日の教会のミサの後に見聞きしたことをシェア・発表します。



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