一年を振り返る―自分語り満点の振り返り―

海外では、大体の場合花火で大いに盛り上がり年が明ける。ボリビア、フィリピン、オランダ、シンガポールで年明けを経験しているが、シンガポールを除いて、花火がバンバン、特にフィリピンでは戦争中かと思う勢いで、花火が至るとことで炸裂(笑)し、年明けと同時に、食べる。

個人的には、除夜の鐘を聞きながら、ゆっくりと明けるあの何とも言えない、はっきりとしない年の境目が懐かしい。



どうしても一人になりたくて、職場に残した学生のレポートを取りに行く(理由は本当だけど、これは第二の理由)親族でひしめく義母宅を飛び出し、職場で少々作業。年末に職場にいくなんて、「なんて日本人」とレッテルを張られてしまいそうですが、仕方がない。

ひっそりとする、校舎を自転車で颯爽と通り抜け、一週間分の埃がかぶった職員室へ。一週間でこんなにカビ臭くなるとは。

誰もいない職員室に腰をおろして一息。引き出しを開けて、クリスマス休暇前に課題に出したレポートをチェック済みとそうでないものをしわけ、思わず惚けてしまう。

一年の記憶が部分、部分蘇ってきて「あーこんなこともあったなぁ」と回想。毎年思うが、異動が多い数年、消化できぬままに次から次へといろんな出来事が起こった年だったと、改めて思う。

2015年嬉しかったことは、本の翻訳を任せて頂けたこと。今まで翻訳したり、記事を書いたりしたことはあったけど、本を・・・しかもだれかの思いがつまる作品(学術書ですが)の一冊、翻訳に携われたことは意義深く、反省点も多かったけど、またこれから博士課程を目指す者として励みになった。

また、フリーランス翻訳確認、トラベルライターなど、色々な分野に力を分散させなければならなかったものの、それらを通じて自分の仕事のスタイルが少しづつ見えてきた。今更?と思われるかもしれないが、海外を転々として、フリーの仕事をコンスタントに頂くということがどういうことなのか、分かってきた。

大きな変化は、大学でのフルタイム、教員となったこと。もう、チャレンジの連続。何より、授業時間数の多さ、毎月の試験と、課題のチェック、クイズ、それのみならず、大学の行事にも積極的に参加せねばならず、結果として休日なし、先生をおちょくる学生も出現し、授業中プチ切れしてみたり。。。ネタは尽きない。元々、神経質なので、緊張し、細かいことが気になり、自分自身大丈夫かなぁと思っていたものの、何とか一学期を乗り切り、今は二学期目。しかし、毎日授業をこなす中で、大学時代の復習(社会学と平和学)が出来たこと、何と言っても外国人相手の授業なので、論理的に、はっきり話す訓練を毎日していると思うと有難い。(あ、けど今でも毎日緊張して教壇に立っていて、一日が終わるとほっとします)

そんなばたばたな生活で、国内の社会学の学会での発表、国際学会での発表、学内での発表を出来は、満足には到底届かぬレベルながら、出来たことは大きい。学会で発表するということはどういうことなのか、どういうレベルが求められているのかが、実感をもって分かったことは大きい。しかし、10月から12月は怒涛の月だった。我ながら、よく持ちこたえたと思う。

反面、チャレンジも多かった。9月は受難の月。近しい友人の死のニュースに始まり、大病にかかり高熱と激痛に耐える一週間を過ごしたかと思うと、旦那が遠方に行き、最長一年、最短でも約10カ月ぐらいは会えないという事態になってみたり・・・

特に友人の死はボディーブローのように効いた。人の死がこれほど、じわじわと影響するってどういうことなのか?私はその友人がかなり好き(男性だが、異性としての好きというのとちょっと違う好き。笑)、というのもあるが、腑に落ちない。

その理由の一つは私のいつも身につけている鈴がその友人から手渡されたものだからだろう。個人的にというよりは、とあるワークショップの最終日、修了式の一環で行った“儀式”で渡されたものだった。


“儀式”というのは少々怪しい響きだが、参加者の一人ひとりが自分が繋がっていたい人にメッセージを伝え、それと同時に毛糸を手に結び、その受け取った人が同じように、その毛糸を通じて繋がっていくというもの。彼から渡ってきた毛糸がまだ私の手にあるような感じがする。嫌な感じは全くないけど、何だか不思議な感じである。そのためかは分からないが、彼をしばしば思いだす。

彼を思い出す前に、旦那を思い出そうぜ!と言われてしまいそうだが、旦那は思いだすというよりも、もっとリアルな存在。リアルすぎて、ロマンチックさが欠けるのが悲しい。そのため、旦那がチャットなどで、くささ満点のセリフを言ってきても、また何か言っていると流してしまう自分がいる。というか、そもそもムードというものがない鈍感な私であるため、仕方ない。

2016年、どんな一年にしたいのか。一言で「集中」。今いる環境は色んな意味で“雑音”が多いのだが、そんなものを気にしていたら、一向にやるべきことが進まない。誰が何を言おうと、まっしぐらに進む。

そして、「強度」。つべこべ言わず、とにかくやる。強度をもって。

2015年も本当にお世話になりました。自分の限界を超えてやらないといけないことが多い一年でしたが、周りに支えられ出来たのだと思います。支えてもらうよりも、誰かの助けになれるよう、自分自身の特に人間としての器とそれとバランスする、技量を身につけていきたいと思います。これからもご指導よろしくお願いします。

自分の振り返りのために書いたこのブログ。じゃ、ブログじゃなくて自分の日記に書けよって突っ込まれそうですが、これが言いたかった。笑。

どうぞ、よいお年を。






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